smock vo/g のつれづれブログ 


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「真島昌利 #3」no,1084

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夏のぬけがら
CD (1989/11/21)
レーベル: トライエム


ひとっこ ひとり いない よる~♪
オートバイが はしっていく~♪
シートのうえは からっぽでぇ~♪
だれにも あやつられちゃいなぁい~♪

こころを かくして きたんだ~♪
こころを かくして きたんだ~♪
オートバイが はしっていくぅ~♪
ただもう はしって いくんだぁ~♪

真島昌利の89年の1stソロアルバム「夏のぬけがら」の1曲、タイトルはまさしく「オートバイ」である。
この作品には他にも「風のオートバイ」という曲が入っている。
ブルーハーツで言えばヒロトさんはバイク乗りとして比較的有名であり、バイク雑誌の表紙を飾ったりしていたが、マーシーもバイク乗りなのであろうか?・・・寡聞にして僕は知らない。まぁ、でも好きなんだろうな。

何年経っても、大人になっても、歳くうても、いろんな物事にすり減らされて、いつも間にやらとげとげした部分は角がとれちゃって、その代わりにいろんな物事の意味が分かるようになって、その分、優しくなってしもうたような気がするようになっても・・・・・ずっと忘れられない音楽作品、いつまでも聴き続ける、もしくはふとした時に頭の中で鳴り始める作品というモノは、ある。

まぁ、昔のロック雑誌風に言えば、「無人島に持っていきたい3枚のレコード」っていうようなアレだな。
僕の場合は洋楽で言えばまず1枚はDAVID BOWIEの72年の作品「HUNKY DORY」、そして邦楽で言えば、この真島昌利の89年の「夏のぬけがら」である。
どちらも18~19歳の頃に初めて聴いて、今でも好きな作品である。

ふと気づけば2つともロックでもパンクでもない。
ボウイで言えば60年代ポップスに憧憬をアレした作品らしいし、マーシーのこの作品にしても、当時人気絶頂のブルーハーツのギタリストとしてはアレな感じに受け取られかねないフォークアルバムである。まぁ、友部正人さんも参加していることからも分かるようにマーシーはフォークも好きなんだろうな。

さて、このところ長崎は陽気も良く、通勤もバイク、週末もバイクで遊ぶのが好きな僕にとっては、非常に嬉しい季節である。5月の爽やかな、爽やかすぐるるるるる風を受けて、バイクをぶぶぶとするのは、とても、素晴らしく、心地よいモノである。

そういう時にふと口ずさんでしまうのは、このマーシーの「夏のぬけがら」の曲たちが多いのである。

ほんでもって、以前にも書いたことがあるし、あちこちで言うてたりもしているのだが、僕は歌詞に重きをおく性分ではない。

まぁ、歌うのは好きだし、若い時分はデヴィッド・ボウイの歌詞を一生懸命覚えたりしたりしなかったりしたのだが、Teenage Fanclubが90年代初頭の作品で「歌に答えを求めるんじゃない」ってな事を歌っていて、本人達はそれからもずっと歌のある楽曲を作っているところをみると、大して意味はないのかもしれないが、「ああ、そうかもしれん。音楽=歌(歌詞)というような風潮は、歌(歌詞)に重きを置きすぎるのは、一度自分の中で整理して音楽に向き合った方がよいかもしれん」と考えたり考えなかったりして、そこからだんだんと歌というものに対する僕の姿勢は変わってもうたのである。

人間、歳を重ねればいろんな書物を読み、また経験を通じて、いろんなことを学習する。
まぁ、歌詞に人生のお手本を求めたり、共感や優しさなどを求めたりするのは間違ってはいない。
それが必要な人もいる。まぁ、歌ではなく歌手をアイドル視する場合もあるのだろうが、それも本人が必要とするのだから、自由なのだ。
しかしそういうものは、歌でなくとも、全くかまわないと言えば、かまわないとも言える。
あまりに歌に重きを置くと、音楽が、そして歌そのものが、不自由になりはしないか?
歌そのものを「音楽」として自由に楽しんでもええのではないか?とも思うのである。

まぁ、そういうことを言うてみたりしたりしなかったりする。

まぁ、そうやってご託を並べてみても、それも人それぞれ。
たまたま僕は歌というか、歌詞がピンとこない場合が多いだけかもしれぬ。
僕が偏屈な人間なだけかもしれぬ。

まぁ、そうは言うてみても、マーシーのこの作品は歌が、メロディが、歌詞が心にしみるものが多い。
冷静に、客観的に見れば、真島昌利さんは歌唱力のある歌い手では、ない。
ざらついた声を張り上げるように歌うアレは、ちょっと独特で、それだけで受け付けない方もいるだろう。
でも、マーシーの歌声を僕は好きだ。高校生の時に「チェインギャング」を、目を見開き、コードをかき鳴らし、が鳴り立てるように歌うブルーハーツのマーシーをテレビで見てから、ずっと好きなのだ。

そして、歌詞も、僕にはグっとくるくるきまくりやがるアレが多いのである。
この作品のマーシーは心情をあまり吐露しない。その代わり情景、風景を歌詞で扱う。
ラブソングにありがちなのが、過剰なまでの心情吐露であるが、そこに共感して「分かるわぁ」っていうのも良いのだが、あまりに説明的な歌などもあったりして、「あなたの歌は恋愛小説や、恋愛ドラマの代用品なのですね?」っていうようなアレには、個人的にはうんざりなのだ。
まぁ、これは僕が野郎だからかも知れぬが。

そう、野郎と言えば、マーシーのこの作品では、あちこちあちこちから「少年性」が滲み出ているのである。
だから野郎である僕には、ええ大人のくせにガキな部分も否めない僕には、ピンとくるのかもしれぬ。
そうだ、そういうことにしておこう。

マーシーの歌は少年の時の一場面を、自分に身に覚えがないようなアレでも、バキっと頭の中に浮かび上がらせ、言いようもない過ぎ去ってしまった少年時代を思い出して、胸を苦しくさせるアレで、僕のようなくるくるめがね野郎の心もグっと掴む。

華やかなアルバムでもないし、お上手な歌が聴けるわけでもない、ましてや女性には理解できないような世界観であるかもしれない。
まぁ、でも、万人に受け入れられるものが僕にも受け入れられるものかどうかは、全くの別のアレである。
だから、僕はマーシーの作品をこれからも折りに触れて聴いたりするし、口ずさんだりするのだろう。
僕には死ぬまで大切な作品でありつづけると、いうことだ。

by cst6480088 | 2012-05-12 02:54 | 音楽(日本)