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smock vo/g のつれづれブログ 


by cst6480088
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「お相撲さん#2」no,229

今回の両国出張では会議終了後にホンの1時間ほどであるが、自由時間ができた。
話によれば今、お相撲さんたちは大阪にいるらしく相撲部屋自体は発見できたがお相撲さんは発見できなかった。
「お相撲さん#2」no,229_c0019268_22561712.jpg
お相撲部屋は立浪部屋

しかし、JR両国駅から歩いて10分ほどのところに忠臣蔵で有名な吉良上野介の住居跡があったので、見に行ってみた。
案外面白いものだった。
「お相撲さん#2」no,229_c0019268_2259225.jpg
「首洗い井戸」だって。
怖いね。



元禄14年3月14日、江戸城内松の廊下で、赤穂藩主浅野内匠頭が吉良上野介に突然斬り掛かる(松の廊下事件)。事件が勅使饗応の直前だったので、将軍・徳川綱吉は殊のほか激怒し、浅野内匠頭に即日切腹を、赤穂藩にはお取りつぶしの断を下した。しかし一方の相手の吉良上野介に対しては、何のおとがめもなし。この片手落ちの裁きに、家老の大石内蔵助以下の赤穂藩の藩士たちは激怒。無抵抗で城を明け渡すも、吉良上野介に対して密かに仇討ちを計画し、元禄15年12月15日の早朝、大石以下47人の赤穂浪士が吉良邸に侵入、吉良を討ち取って主君の仇討を果たした。
これだけの事件に当時の興行界が食いつかないはずはなく、三日後にもう劇化。その後浄瑠璃・歌舞伎でさまざまな台本が発生したのち、約50年後の仮名手本忠臣蔵が集大成として高く評価され、以後この「忠臣蔵」が事件の通称となった。


日本人は忠臣蔵の話が好きだよね。
でもさ、よく考えてみればこんなことが現代であれば大変だよね。
考えようによってはこれは「テロ」だよ。「テロ」
以下は討ち死にしたと思われる吉良家の家臣の皆さん
「お相撲さん#2」no,229_c0019268_23195290.jpg

当時の出来事を今の考えで一方的に語るのはおかしいのだろうけど、考えようによってはこの討ち死にした侍達も主君であるところの吉良上野介を守ろうとして死んだわけだから、赤穂浪士と同じく「忠君の士」であると言えるのではないか?・・・って思わない?
by cst6480088 | 2006-03-07 22:57 | 旅・出張