「Wolf Parade #1」no,282
2006年 06月 06日
Apologies to the Queen Mary (05)Sub Pop
カナダはモントリオールのバンドみたいです。ジャケがすごくカッコいい。
アレだね?
このアルバムはSub Popからなんだけどさ、もともと僕はSub Popってレーベルに詳しいわけじゃないんだけどさ、グランジもはるか昔となった今、Sub Popも変わってるんだね。
このようなねじれポップのバンドも出してるんだねぇ。
「今さら何言ってんだ?」・・・って思う詳しい人もいるかとは思うんだけどさ、僕はアレなんだよね?・・・そんなに詳しくないから知らなかったんだよね。
レビューにも書いてあったけどModest Mouse とか好きな人にはアレのアレかもしれないね?
まぁ、それはそれとして、みなさんは忙しいですか?
僕のブログを読んでくれている人からは「忙しいんですね」・・・ってよく言われるけど、確かに忙しいねぇ。
そうだねぇ・・・確かにいろんなものごとに頭のキャパが追いついていないね。
一つのものごとを深く考えるってのが時間的にきつくなってきた。
このブログは良い気分転換になってるけどね。
でもさ、僕は貧乏性だからヒマになってもダメかもしれない。
曲ってのは時間があれば作れるってもんでもないし。
やっぱりひらめきが大事。
前のブログにも書いたけどさ、ミュージシャンは技術職ってね。
でも、独創性が、想像力、創造力が重要な技術職だよね。
設計図があるわけではないからさ。
世の中にはいろんな技術職があるということなのでしょう。
でも、やっぱり僕は「アーティスト」じゃないや。
労働者階級なんだって意識は歳をおうごとに強くなる。
社会は矛盾に満ちている。
目を閉じていてはいけない。
「見えなければないものと同じ」・・・そういう考え方も理解できないではないが、大衆の無関心は「強者=弱者から搾り取るもの」には都合が良いものだが、我々大衆はいつ自分が最弱の者になるかはわからないからね。
日本のように社会のセーフティネットが非常に弱い社会では、それは「死」を意味することにもなる。このことはなんとなくわかってきた。
ナチスを増長させたのは大衆の責任でもあるのだ。
当時のドイツ国民が、みんながみんなナチを支持したわけではない。
しかし、行動を起こさず傍観したものは、行動を起こしたナチスを止められなかった。
それは事実だ。
ん~?
またよくわからなくなってきた。
もう、寝よう。
最後に第二次世界大戦当時のマーチン・モロ牧師の言葉を引用します。
「ナチス・ドイツが共産党員を殺害した際、私は反対の声を出さなかった、私は、共産党員ではないからだ。その後、ナチスがユダヤ人を殺害した際、私も反対の声を出さなかった。何故なら、私はユダヤ人ではないからだ。さらにその後、ナチスがカトリック教徒を殺害したときに、私はカトリック教徒ではないから、依然と沈黙を守った。最後に、ナチスが私に向かってきたとき、誰も私のために立ち上がってくれる人は居なかった」
さらに重要なことは、この人は悪人じゃなくて、善人だってこと。・・・たぶんね。
自分を振り返ってよく考えなきゃ。
カナダはモントリオールのバンドみたいです。ジャケがすごくカッコいい。
アレだね?
このアルバムはSub Popからなんだけどさ、もともと僕はSub Popってレーベルに詳しいわけじゃないんだけどさ、グランジもはるか昔となった今、Sub Popも変わってるんだね。
このようなねじれポップのバンドも出してるんだねぇ。
「今さら何言ってんだ?」・・・って思う詳しい人もいるかとは思うんだけどさ、僕はアレなんだよね?・・・そんなに詳しくないから知らなかったんだよね。
レビューにも書いてあったけどModest Mouse とか好きな人にはアレのアレかもしれないね?
まぁ、それはそれとして、みなさんは忙しいですか?
僕のブログを読んでくれている人からは「忙しいんですね」・・・ってよく言われるけど、確かに忙しいねぇ。
そうだねぇ・・・確かにいろんなものごとに頭のキャパが追いついていないね。
一つのものごとを深く考えるってのが時間的にきつくなってきた。
このブログは良い気分転換になってるけどね。
でもさ、僕は貧乏性だからヒマになってもダメかもしれない。
曲ってのは時間があれば作れるってもんでもないし。
やっぱりひらめきが大事。
前のブログにも書いたけどさ、ミュージシャンは技術職ってね。
でも、独創性が、想像力、創造力が重要な技術職だよね。
設計図があるわけではないからさ。
世の中にはいろんな技術職があるということなのでしょう。
でも、やっぱり僕は「アーティスト」じゃないや。
労働者階級なんだって意識は歳をおうごとに強くなる。
社会は矛盾に満ちている。
目を閉じていてはいけない。
「見えなければないものと同じ」・・・そういう考え方も理解できないではないが、大衆の無関心は「強者=弱者から搾り取るもの」には都合が良いものだが、我々大衆はいつ自分が最弱の者になるかはわからないからね。
日本のように社会のセーフティネットが非常に弱い社会では、それは「死」を意味することにもなる。このことはなんとなくわかってきた。
ナチスを増長させたのは大衆の責任でもあるのだ。
当時のドイツ国民が、みんながみんなナチを支持したわけではない。
しかし、行動を起こさず傍観したものは、行動を起こしたナチスを止められなかった。
それは事実だ。
ん~?
またよくわからなくなってきた。
もう、寝よう。
最後に第二次世界大戦当時のマーチン・モロ牧師の言葉を引用します。
「ナチス・ドイツが共産党員を殺害した際、私は反対の声を出さなかった、私は、共産党員ではないからだ。その後、ナチスがユダヤ人を殺害した際、私も反対の声を出さなかった。何故なら、私はユダヤ人ではないからだ。さらにその後、ナチスがカトリック教徒を殺害したときに、私はカトリック教徒ではないから、依然と沈黙を守った。最後に、ナチスが私に向かってきたとき、誰も私のために立ち上がってくれる人は居なかった」
さらに重要なことは、この人は悪人じゃなくて、善人だってこと。・・・たぶんね。
自分を振り返ってよく考えなきゃ。
by cst6480088
| 2006-06-06 01:17
| 音楽(その他)