「Don Caballero #4」 no,304
2006年 07月 20日
いや、全くドンはすごい。
ドンキャバは聴き込むほどに・・・・よく分からない。
このような曲はセッションで作っていくのであろうか?
だよな、セッションだよな。
一人の頭の中だけでできるモノじゃないよな。
いや、ひょっとしたらできるのかもな?
世の中にはすごい人がたくさんいるしな。
何にしても、良いアルバムであるのだ。
今年ももう7月。1年の半分以上が過ぎました。
今年の前半だけでもたくさんの素晴らしいCDに出会いました。
今年もまだまだ素晴らしい音楽に出会うのだろう。
そして、僕は考える。
僕は、比較的熱心な音楽(ロック?)ファン、リスナーであると思うけども、同時にミュージシャン(プレイヤー)でもあるのだ。
大切な仲間と共に、音楽を作り出しているのだ。
しかし、先ほども書いたように、世の中には素晴らしい、それはそれは素晴らしいミュージシャンがたくさんいるのだ。
その中で僕が音楽を作り出す理由はどこにあるのだろう?
「リスナー」であることと、「ミュージシャン」であること、その関係とはいったいどのようなモノであろうか?
僕にはドンキャバのような音楽はたぶん、作れない。
身近なところで言えばvelocityutやGNAWNOSEのような音楽も作れない。
Folk enoughやmothのような曲も作れない。
そして、僕は彼等の音楽が好きである。
でも、聴くだけでは満足できないのである。
自分の音楽を作り出したいのである。
なぜだろう?
音楽を作るのが好きだから?
・・・・そうだ。
演奏するのが好きだから?
・・・・そうだ。
じゃあ、なぜ、好きなのだ?
・・・・分からない。
若い頃、楽器を持ち始めた時は、単純だった。
憧れのミュージシャン、例えば、シド・ビシャスであるとか、もっとアイドル的なモノならジョン・テイラー(DURAN DURANだぜ?ニューロマだよ?ニューロマ!)であるとか、日本人ならBOφWYのベースの松井常松であるとか、そして、
何より自分をかっこよく見せたかった。
はっきり言えば、もてたかった。
それがベースを手に取った理由だった。
今はどうだ?
今はベースからギターに楽器を持ち替え、さらに、二十歳以前には考えてもいなかった歌も歌っている。
けど、アレだ?
他の人はどうだかわかんないけど、僕はバンドをしたからって、特にもてなかった。
思ったよりも全然だった。
それは僕が女性にとって魅力的であるか否かの問題であって、バンドは関係ないのかもしれない。
それは比較的、早くに分かった・・・バンドでもてたのは高校生までだ。
それ以後、10数年間も、なぜ僕は音楽を続けてきたのだろう?
24〜26歳の間をのぞけば、ずーっとバンドをやっている。
・・・と、ここまで書いてきたのではあるが、分からないものは分からないである。
分かることは、僕はバンドの仲間と演奏し曲を作るのが好きだ。
そして、それは「作る」からいいのであって、人の曲を演奏したい訳ではないのだ。
これは、ホントに、かけがえのないモノだと思う。
僕が弾くギターに合わせ、ベースのマモルが、ギターの関が、ドラムのユータが、自分達なりに創造力を働かせて、楽器を演奏するのである。20歳をすぎた男達が4人集まって、お金儲けの為じゃなく、「音楽を作る・演奏する」という目的のためだけに毎週集まるのである。
そして、その結果、一つの「僕たちだけの音楽」ができあがるのである。
さらに、たくさんの人数ではないが、それを聴きに集まって来る人達がいる。
ありがたいことだ。素晴らしいことだ。
社会というモノは、日本というモノは、資本主義の世の中である。
「拝金主義」といっても良いかもしれない。
経済こそが絶対で、その人の経済力により、「幸せ」というものの大きさが決まってしまう・・・と考える傾向が多分にある。
そして、それはある意味においては、真実かもしれない。
・・・・お金がなければ、裕福な暮らしはできないからね。
社会のいろいろな集団、特に、会社であるとか、そういうところは「利益を生み出す」そして、そのことにより「お金を得る」という経済的な目的のために集まっている。マルクスにおける「資本家」と「労働者」、「中間階級」もしくは「勤労国民層」との間の根本的な(それは当分消えそうにもないが)対立はあっても、表面上はお互いの経済的利害が一致し、雇用契約など、社会のルールに則った上で「集団」となり、運営されている。
しかるに、「バンド」はどうだ?
俺達は「バンド」でお金は稼いでいない。
たまに、収入はあるが、お金は出て行くばっかりだ。
でも、それでも「音楽」という接点で僕達は集まる。
・・・考えてみれば、バカだねぇ。・・・・でも、いいじゃないか?
草野球チームでも何でも、その辺は趣味と一緒だな。
それで、僕たちはその趣味がたまたま「音楽」という表現活動だっただけだ。
おお?
ここまで長々と書いてきて、たどり着いた結論が「趣味」か?
む〜ん、そうだな。
僕にとっては、人生の中で多大な労力と創造力を費やし、生きるための重要な糧となっている事だけども、端から見れば、「趣味」だ。
そうなんだな。
では、最後に「趣味」を辞書でひいてみよう。
しゅみ 【趣味】
(1)専門としてではなく、楽しみにすること。余技。ホビー。「趣味は読書と音楽鑑賞です」
(2)物のもつ味わい・おもむき。情趣。「われは、この趣味多き十和田湖を去りぬ/十和田湖(桂月)」
(3)物の美しさ・おもしろみを鑑賞しうる能力。好み。感覚。センス。「持ち物一つにも趣味のよさが出ている」
やっぱりよくわかんない。
「芸術」って事について以前書いたけど、どうどう巡りだな。
ドンキャバは聴き込むほどに・・・・よく分からない。
このような曲はセッションで作っていくのであろうか?
だよな、セッションだよな。
一人の頭の中だけでできるモノじゃないよな。
いや、ひょっとしたらできるのかもな?
世の中にはすごい人がたくさんいるしな。
何にしても、良いアルバムであるのだ。
今年ももう7月。1年の半分以上が過ぎました。
今年の前半だけでもたくさんの素晴らしいCDに出会いました。
今年もまだまだ素晴らしい音楽に出会うのだろう。
そして、僕は考える。
僕は、比較的熱心な音楽(ロック?)ファン、リスナーであると思うけども、同時にミュージシャン(プレイヤー)でもあるのだ。
大切な仲間と共に、音楽を作り出しているのだ。
しかし、先ほども書いたように、世の中には素晴らしい、それはそれは素晴らしいミュージシャンがたくさんいるのだ。
その中で僕が音楽を作り出す理由はどこにあるのだろう?
「リスナー」であることと、「ミュージシャン」であること、その関係とはいったいどのようなモノであろうか?
僕にはドンキャバのような音楽はたぶん、作れない。
身近なところで言えばvelocityutやGNAWNOSEのような音楽も作れない。
Folk enoughやmothのような曲も作れない。
そして、僕は彼等の音楽が好きである。
でも、聴くだけでは満足できないのである。
自分の音楽を作り出したいのである。
なぜだろう?
音楽を作るのが好きだから?
・・・・そうだ。
演奏するのが好きだから?
・・・・そうだ。
じゃあ、なぜ、好きなのだ?
・・・・分からない。
若い頃、楽器を持ち始めた時は、単純だった。
憧れのミュージシャン、例えば、シド・ビシャスであるとか、もっとアイドル的なモノならジョン・テイラー(DURAN DURANだぜ?ニューロマだよ?ニューロマ!)であるとか、日本人ならBOφWYのベースの松井常松であるとか、そして、
何より自分をかっこよく見せたかった。
はっきり言えば、もてたかった。
それがベースを手に取った理由だった。
今はどうだ?
今はベースからギターに楽器を持ち替え、さらに、二十歳以前には考えてもいなかった歌も歌っている。
けど、アレだ?
他の人はどうだかわかんないけど、僕はバンドをしたからって、特にもてなかった。
思ったよりも全然だった。
それは僕が女性にとって魅力的であるか否かの問題であって、バンドは関係ないのかもしれない。
それは比較的、早くに分かった・・・バンドでもてたのは高校生までだ。
それ以後、10数年間も、なぜ僕は音楽を続けてきたのだろう?
24〜26歳の間をのぞけば、ずーっとバンドをやっている。
・・・と、ここまで書いてきたのではあるが、分からないものは分からないである。
分かることは、僕はバンドの仲間と演奏し曲を作るのが好きだ。
そして、それは「作る」からいいのであって、人の曲を演奏したい訳ではないのだ。
これは、ホントに、かけがえのないモノだと思う。
僕が弾くギターに合わせ、ベースのマモルが、ギターの関が、ドラムのユータが、自分達なりに創造力を働かせて、楽器を演奏するのである。20歳をすぎた男達が4人集まって、お金儲けの為じゃなく、「音楽を作る・演奏する」という目的のためだけに毎週集まるのである。
そして、その結果、一つの「僕たちだけの音楽」ができあがるのである。
さらに、たくさんの人数ではないが、それを聴きに集まって来る人達がいる。
ありがたいことだ。素晴らしいことだ。
社会というモノは、日本というモノは、資本主義の世の中である。
「拝金主義」といっても良いかもしれない。
経済こそが絶対で、その人の経済力により、「幸せ」というものの大きさが決まってしまう・・・と考える傾向が多分にある。
そして、それはある意味においては、真実かもしれない。
・・・・お金がなければ、裕福な暮らしはできないからね。
社会のいろいろな集団、特に、会社であるとか、そういうところは「利益を生み出す」そして、そのことにより「お金を得る」という経済的な目的のために集まっている。マルクスにおける「資本家」と「労働者」、「中間階級」もしくは「勤労国民層」との間の根本的な(それは当分消えそうにもないが)対立はあっても、表面上はお互いの経済的利害が一致し、雇用契約など、社会のルールに則った上で「集団」となり、運営されている。
しかるに、「バンド」はどうだ?
俺達は「バンド」でお金は稼いでいない。
たまに、収入はあるが、お金は出て行くばっかりだ。
でも、それでも「音楽」という接点で僕達は集まる。
・・・考えてみれば、バカだねぇ。・・・・でも、いいじゃないか?
草野球チームでも何でも、その辺は趣味と一緒だな。
それで、僕たちはその趣味がたまたま「音楽」という表現活動だっただけだ。
おお?
ここまで長々と書いてきて、たどり着いた結論が「趣味」か?
む〜ん、そうだな。
僕にとっては、人生の中で多大な労力と創造力を費やし、生きるための重要な糧となっている事だけども、端から見れば、「趣味」だ。
そうなんだな。
では、最後に「趣味」を辞書でひいてみよう。
しゅみ 【趣味】
(1)専門としてではなく、楽しみにすること。余技。ホビー。「趣味は読書と音楽鑑賞です」
(2)物のもつ味わい・おもむき。情趣。「われは、この趣味多き十和田湖を去りぬ/十和田湖(桂月)」
(3)物の美しさ・おもしろみを鑑賞しうる能力。好み。感覚。センス。「持ち物一つにも趣味のよさが出ている」
やっぱりよくわかんない。
「芸術」って事について以前書いたけど、どうどう巡りだな。
by cst6480088
| 2006-07-20 21:10
| 音楽(アメリカ)