「Dysrhythmia #2」no366
2006年 11月 18日
No Interference(05)Translation Loss
no,338に続いて2回目の登場。Dysrhythmia
僕はメタルが嫌いである。
もうどうしようもないくらい、メタルが嫌いである。
ろくろく聴いた事もないくせに、メタルが嫌いである。
メタルバンドのアルバムを聴いたことはほとんどないが、大学生の時に先輩諸氏が演奏するメタルバンドのコピーが、先輩方には、誠に申し訳ないが、どうしようもないほどカッコ悪く聴こえて仕方なかったので、メタル嫌いになったのではないのかと思う。
だから、真正メタルファンの諸氏には申し訳ないが、僕はメタルを聴く気になれない。
言い訳すれば、僕はメタルを聴くには余計な先入観を植え付けられすぎたのだ。
加えて、ハードロックなるものも大嫌いである。
ガンズとか本当に頭が足りないのではないか?と思うぐらいなのである。
それは、ガンズが悪いのではない。
無自覚にガンズをコピーして責任感の希薄な音を垂れ流し続けた、当時の僕のまわりにいたアマチュア音楽家の非常に、無邪気で、無責任な行為からくる副産物である。
同じ理由で、ビートルズも聴けない。
味も、香りも、毒気もないビートルズのコピーバンドをいくつも見たせいで、ビートルズまで嫌いになってしまった。
ビートルズの曲が良いことは、知っているが、ビートルズのコピーバンドのせいで、僕はビートルズをまっさらな耳で、素直な心で、聴くことはできない。
ローリングストーンズも多かれ少なかれ、同じようなものである。
そういう意味では、僕は不幸なのだろうか?
彼等、コピー音楽家の演奏から、真の狂気であるとか、虚無であるとか、言葉にできないような感情とか、そのようなものを感じたことがない。
ものすごく、上っ面なものに聴こえて仕方がないのである。
たぶん、僕は、偏見に凝り固まっているのではないかと思うが、もう35年も生きてきて、今さらメタル好き、ハードロック好きにはなれない。
どうせバカなら、パンクの方がいい。
ギリギリの、刹那的な、それでいて、救いようがないくらいのバカッぷリが垣間見える、それぐらいの方がいい。
演奏なんか、下手でもいい。その人の表現が聴きたい。
技術的なものはあればあった方が良いに決まってはいるだろうが、それだけではない。
音楽という表現は、それだけではないのだ。
僕は音楽にいろんなものを感じたいのだ。
だから、せっかく技術があるのに、コピーなどをしている人を見ると非常に寂しい気持ちなるとともに、そういう人達の感情が理解できない。
クラシックの演奏家であるとか、そういう人達にはまた別の評価基準があるのだろうし、僕にそれを語る資格はないが、ロックといわれるものに関しては、やはり「個の表現」と言うものが大事なのではないか?ピストルズはピストルズ、クラッシュはクラッシュ。ストーンズはストーンズ。ピクシーズはピクシーズ。アルビニはアルビニなのではないだろうか?
みなさん、いかがなものでしょうか?
反論もあると思います。
しかし、僕は曲がりなりにも、表現者を自認するものとして、それぐらいの判断基準を持っていなければ、いけないと思うし、音楽を何年も続けるにおいて、「なぜ曲を作るのか?」ということは、どうしても、考えてしまうのである。
非常に前置きが長くなったが、Dysrhythmia
昨日練習に行く途中にクルマの中でこのアルバムをかけていたら、ユウタから「これはメタルですよ」と言われて、大変ショックなのであった。
確かに、パソコンで検索すると、このバンドのジャンルは「メタル」となる。
なんたるへヴィメタル・シンジケート!!
ああ、なんと言うことだろう。
ある意味自分で自分を檻の中に閉じ込めてしまっていたのではないか?
へヴィメタル。
44マグナム。・・・日本の80年代のへヴィメタルバンドである。
まぁ、意味はないのだが、そういうことだ。
明後日の日曜日は長大祭。
12:30から学生プラザです。
へヴィメタは演奏しませんが、僕らなりの表現をします。
自由音楽家なのです。
no,338に続いて2回目の登場。Dysrhythmia
僕はメタルが嫌いである。
もうどうしようもないくらい、メタルが嫌いである。
ろくろく聴いた事もないくせに、メタルが嫌いである。
メタルバンドのアルバムを聴いたことはほとんどないが、大学生の時に先輩諸氏が演奏するメタルバンドのコピーが、先輩方には、誠に申し訳ないが、どうしようもないほどカッコ悪く聴こえて仕方なかったので、メタル嫌いになったのではないのかと思う。
だから、真正メタルファンの諸氏には申し訳ないが、僕はメタルを聴く気になれない。
言い訳すれば、僕はメタルを聴くには余計な先入観を植え付けられすぎたのだ。
加えて、ハードロックなるものも大嫌いである。
ガンズとか本当に頭が足りないのではないか?と思うぐらいなのである。
それは、ガンズが悪いのではない。
無自覚にガンズをコピーして責任感の希薄な音を垂れ流し続けた、当時の僕のまわりにいたアマチュア音楽家の非常に、無邪気で、無責任な行為からくる副産物である。
同じ理由で、ビートルズも聴けない。
味も、香りも、毒気もないビートルズのコピーバンドをいくつも見たせいで、ビートルズまで嫌いになってしまった。
ビートルズの曲が良いことは、知っているが、ビートルズのコピーバンドのせいで、僕はビートルズをまっさらな耳で、素直な心で、聴くことはできない。
ローリングストーンズも多かれ少なかれ、同じようなものである。
そういう意味では、僕は不幸なのだろうか?
彼等、コピー音楽家の演奏から、真の狂気であるとか、虚無であるとか、言葉にできないような感情とか、そのようなものを感じたことがない。
ものすごく、上っ面なものに聴こえて仕方がないのである。
たぶん、僕は、偏見に凝り固まっているのではないかと思うが、もう35年も生きてきて、今さらメタル好き、ハードロック好きにはなれない。
どうせバカなら、パンクの方がいい。
ギリギリの、刹那的な、それでいて、救いようがないくらいのバカッぷリが垣間見える、それぐらいの方がいい。
演奏なんか、下手でもいい。その人の表現が聴きたい。
技術的なものはあればあった方が良いに決まってはいるだろうが、それだけではない。
音楽という表現は、それだけではないのだ。
僕は音楽にいろんなものを感じたいのだ。
だから、せっかく技術があるのに、コピーなどをしている人を見ると非常に寂しい気持ちなるとともに、そういう人達の感情が理解できない。
クラシックの演奏家であるとか、そういう人達にはまた別の評価基準があるのだろうし、僕にそれを語る資格はないが、ロックといわれるものに関しては、やはり「個の表現」と言うものが大事なのではないか?ピストルズはピストルズ、クラッシュはクラッシュ。ストーンズはストーンズ。ピクシーズはピクシーズ。アルビニはアルビニなのではないだろうか?
みなさん、いかがなものでしょうか?
反論もあると思います。
しかし、僕は曲がりなりにも、表現者を自認するものとして、それぐらいの判断基準を持っていなければ、いけないと思うし、音楽を何年も続けるにおいて、「なぜ曲を作るのか?」ということは、どうしても、考えてしまうのである。
非常に前置きが長くなったが、Dysrhythmia
昨日練習に行く途中にクルマの中でこのアルバムをかけていたら、ユウタから「これはメタルですよ」と言われて、大変ショックなのであった。
確かに、パソコンで検索すると、このバンドのジャンルは「メタル」となる。
なんたるへヴィメタル・シンジケート!!
ああ、なんと言うことだろう。
ある意味自分で自分を檻の中に閉じ込めてしまっていたのではないか?
へヴィメタル。
44マグナム。・・・日本の80年代のへヴィメタルバンドである。
まぁ、意味はないのだが、そういうことだ。
明後日の日曜日は長大祭。
12:30から学生プラザです。
へヴィメタは演奏しませんが、僕らなりの表現をします。
自由音楽家なのです。
by cst6480088
| 2006-11-18 00:01
| 音楽(アメリカ)