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smock vo/g のつれづれブログ 


by cst6480088
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「かぶとむし」no,410

「かぶとむし」no,410_c0019268_23413924.jpg

今日は朝から平戸の手前まで行った。
ちょうど僕の家から100kmほどの距離になる。
写真は、目的地のすぐ近くにある「かぶとむし」
写真下のレンジローバーと大きさを比べてほしい。
でかいだろ?



まぁ、アレだ?
とにかくこのところ交渉ごとや相談事が立て続けに入って、頭が追いつかない。
一つ一つこなしていけばいいのだけれど、どれも同時進行で、もう一人僕がほしいくらいだ。

まぁ、でも、マジメなことばかり考えても、人間がギスギスしちゃうし、何より精神が持たないのだ。

ということで、先ほど、この間読みかけで放ったらかしであった澁澤 龍彦「黒魔術の手帖」を読み終えた。

しかし、たぶん意味はほとんどわかっていない。

澁澤 龍彦は15年ほど前にかなり入れ込んで読みふけっていたが、当時の僕はほとんど意味を理解していなかったのではないだろうか
そして、大学卒業と同時に持っていた書籍を全て処分して、15年ぶりに改めてこの本を古本屋で見かけ、手にとってみたが、やっぱりわかったようなわからないような読後感である。

「フレイザー卿」
「ロベエル・アマドゥ」
「デゥルケム」
「ヤーコブ・ベーメ」
「J・Aニロイ」
「デミウルゴス」
「ジェラ-ル・ド・ネルヴァル」

『序』と示された最初の5ページで、コレだけの意味の分からない人名・単語がバシバシと出てくるが、どれも知らない人ばかり。

「デゥルケムがいみじくも言ったように・・・」って言われても知らないよなって感じである。
この人の不親切なところは引用される人名・単語にほとんど説明・注釈がないところである

しかし、その不親切さにも関わらず、この人の文章が僕はとても好きだ。

最後の解説にもあるように、『澁澤のテクストの最大の魅力は、ディレッタンテッィク(つまり、チョー趣味的)でぺダントリー(つまり、哲学的・・・・・学識上位のスノビズムとでも訳すが妥当か?)な舌足らずさにあります。
もう、アレね?『わかってて当然じゃん』ってな勢いで澁澤の文章はどんどん進んでいくのだ。
それはもう心地よいくらいである。

しかし、この人が三島由紀夫と親交が深くなければ、僕は三島を読むこともなかったであろうし、澁澤の文章に名前が出てこなければ、マルキ・ド サド やザッヘル=マゾッホ、ボオドレエルやジャン・ジュネ などという人達の本を読むことはまずなかったであろう。

ただ、上記の人たちの本は読んだ当初も意味がわかったようで、きっとわかっていなかったのであろうし、15年以上たった現在において、これらの人の文章を僕はほとんど覚えていない。

つまりは、僕の人生において、意味があったかとかと言えば、それは分からない。
「ない」と言っても良いかもしれない。
彼等の文章は、僕の人生、というか、生活、というか、労働者として働く意味での日常においては、実質的な『知と力』を持たない。

僕の労働者としての日常には、彼等の文章よりも労基法第1条2項の文章の方が、実質的には重要である

しかし、世の中、というか、人間は、理性だけで、常識だけで、生きていけるものではない。

全く関係ないが、僕は昨日の夕方、ミスドに行った。
日曜日の夕方の博多駅のミスター・ドーナツは客の9割が女性で、僕の視界に入る限り、男一人の客は僕だけであった。
陳腐な一般論で申し訳ないが、ドーナツなんてなくても生きていける。
僕もちょっと小腹が空いていたが、どちらかと言えば、紅茶が飲みたかったのだ。
そうやってみれば、ドーナツも紅茶も、欲望の対象である。
あそこにいたたくさんの女性達は「ドーナツに対する欲望」から集まってきていたとも言える

上記の文学者、詩人、哲学者達は、知性はあったかもしれないが、理性の世界よりも、欲望の世界・空想の世界を旅して回った人達なのではないか?

そして、僕には労働者の世界とともに、澁澤の世界や音楽の世界も必要なのだ。

自分でもよくわかっていないかもしれないが、まぁ、そういうことなのである。
by cst6480088 | 2007-01-23 00:30 | 本・映画