汚れちまった悲しみに。。。
2007年 12月 26日
ちょっと待てよ?
僕は汚れているのか?
・・・まぁ、それはいい。
ゆあーん。ゆよーん。
コレは中原中也の詩に出てくる言葉なのらしいな。
知らなかった。彼の詩は、詩集は、読んだことないのだ。
日曜日は、久しぶりにFMラジオを聞いた。
正確には「URBANフェチと嘘つきバービー」の番組は部分的ではあるが、ほぼ毎週聴いているので、それ以外のFMラジオだ。
この前ラーメン食べたときにラーメン屋でAMラジオは聴いたので、よく考えるとアレだ?・・・「全くラジオを聴かない生活」というのは意識して実践しない限り、ほぼ無理なのだな。
・・・まぁ、「ラジオを聴かない」という決意をする理由は何も無いから、そんなことを考える必要はないのだが・・・。
でも、アレだ?
ラジオを聴くと、考えさせられることがある。(ラジオに限ったことではないが)
僕は、表現者を自認するようになったが故に・・・まぁ、それだけではないだろうが、・・・とにかく、なにかと面倒な考えが頭をよぎることがある。
ラジオで、ある女性のシンガーソングライターとそのプロデューサーなる人物が話をしていた。
彼女曰く、彼女の曲をプロデューサーが「良い感じ」にアレンジしてくれたと。
プロデューサー氏曰く「良い感じにサウンドプロデュースできた」と。
・・・まぁ、大雑把に言えば、上記のようなことを話していたのであるが、僕の個人的な感想として感じたことは次のようなものだった。
まるで、商品のように音楽を扱うんだなぁ・・・
僕は、上記のように感じたのである。
コレは、たぶん、正しい・正しくないの、問題ではない。
僕の音楽に対する関わり方、感じ方、姿勢の問題である。
たぶん、僕は、表現者・プレイヤーであるが故に、ある意味窮屈な、狭い視野で、こだわりにまみれた感覚で、音楽に接しているのかもしれない。
まぁ、はっきり言えば、僕は件のシンガーソングライターとそのプロデューサー氏に対して、嫌悪感と侮蔑の感情を抱いた。
そして同時に僕は音楽家としてはあくまでも「非」職業的であるということを自覚した。
件の二人は、音楽家、というか「音楽技術者」としては、僕などはおよびもつかない能力の持ち主なのであろう。
しかし、僕の中には、そのことを自覚した上で、あくまでも自分自身の音楽表現というものを探求したいという思いがある。
彼らの話に幾度となく出てきた言葉・・・「~のような、~風な」・・・要するにこの言葉である。
このような言葉を普通に、平気で、自分の音楽作品に対して発言できる彼らの感性に、はっきりと嫌悪感を抱き、もっと強く言えば、憎悪したのである。
わかりやすくいえば・・・「死ねばいいのに」・・・と思ったのである。
いや、アレね?・・・ちと言い過ぎね。
死ななくてもいいよね?
リスナーの立場からすればそのようなことは全く関係ないし、僕の偏見だよね。
まぁ、しかし、僕は36年生きてきても、まだまだこのような点では青いまま、餓鬼のままなのである。
てめえの表現を見せてみろ!
とにかく、てめえの、自分自身の音をだせよ!
~風はいらねぇんだよ!
・・・まぁ、僕はそう思うのである。
でも、「僕は」そう思うだけで、みなさんはみなさんでそれぞれ音楽に接すれば良いというのは言うまでもない。
僕は汚れているのか?
・・・まぁ、それはいい。
ゆあーん。ゆよーん。
コレは中原中也の詩に出てくる言葉なのらしいな。
知らなかった。彼の詩は、詩集は、読んだことないのだ。
日曜日は、久しぶりにFMラジオを聞いた。
正確には「URBANフェチと嘘つきバービー」の番組は部分的ではあるが、ほぼ毎週聴いているので、それ以外のFMラジオだ。
この前ラーメン食べたときにラーメン屋でAMラジオは聴いたので、よく考えるとアレだ?・・・「全くラジオを聴かない生活」というのは意識して実践しない限り、ほぼ無理なのだな。
・・・まぁ、「ラジオを聴かない」という決意をする理由は何も無いから、そんなことを考える必要はないのだが・・・。
でも、アレだ?
ラジオを聴くと、考えさせられることがある。(ラジオに限ったことではないが)
僕は、表現者を自認するようになったが故に・・・まぁ、それだけではないだろうが、・・・とにかく、なにかと面倒な考えが頭をよぎることがある。
ラジオで、ある女性のシンガーソングライターとそのプロデューサーなる人物が話をしていた。
彼女曰く、彼女の曲をプロデューサーが「良い感じ」にアレンジしてくれたと。
プロデューサー氏曰く「良い感じにサウンドプロデュースできた」と。
・・・まぁ、大雑把に言えば、上記のようなことを話していたのであるが、僕の個人的な感想として感じたことは次のようなものだった。
まるで、商品のように音楽を扱うんだなぁ・・・
僕は、上記のように感じたのである。
コレは、たぶん、正しい・正しくないの、問題ではない。
僕の音楽に対する関わり方、感じ方、姿勢の問題である。
たぶん、僕は、表現者・プレイヤーであるが故に、ある意味窮屈な、狭い視野で、こだわりにまみれた感覚で、音楽に接しているのかもしれない。
まぁ、はっきり言えば、僕は件のシンガーソングライターとそのプロデューサー氏に対して、嫌悪感と侮蔑の感情を抱いた。
そして同時に僕は音楽家としてはあくまでも「非」職業的であるということを自覚した。
件の二人は、音楽家、というか「音楽技術者」としては、僕などはおよびもつかない能力の持ち主なのであろう。
しかし、僕の中には、そのことを自覚した上で、あくまでも自分自身の音楽表現というものを探求したいという思いがある。
彼らの話に幾度となく出てきた言葉・・・「~のような、~風な」・・・要するにこの言葉である。
このような言葉を普通に、平気で、自分の音楽作品に対して発言できる彼らの感性に、はっきりと嫌悪感を抱き、もっと強く言えば、憎悪したのである。
わかりやすくいえば・・・「死ねばいいのに」・・・と思ったのである。
いや、アレね?・・・ちと言い過ぎね。
死ななくてもいいよね?
リスナーの立場からすればそのようなことは全く関係ないし、僕の偏見だよね。
まぁ、しかし、僕は36年生きてきても、まだまだこのような点では青いまま、餓鬼のままなのである。
てめえの表現を見せてみろ!
とにかく、てめえの、自分自身の音をだせよ!
~風はいらねぇんだよ!
・・・まぁ、僕はそう思うのである。
でも、「僕は」そう思うだけで、みなさんはみなさんでそれぞれ音楽に接すれば良いというのは言うまでもない。
by cst6480088
| 2007-12-26 00:40
| その他